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    <title>horuso妄批</title>
    <link>http://horuso.net/</link>
    <description>映画や本の感想</description>
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    <copyright>&#169; 2005 horuso. All rights reserved.</copyright>             <!-- Copyright notice -->
    <category>Weblog</category>
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      <title>horuso妄批</title>
      <link>http://horuso.net/</link>
    </image>
    <item>
 <title><![CDATA[バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ / ラウテンバッハー]]></title>
 <link>http://horuso.net/item/29</link>
<description><![CDATA[<h4>ラウテンバッハーの無伴奏</h4>
<p>
<img src="/pblog/files/dl.php?id=16" alt="バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ / ラウテンバッハー" width="170" height="170" />
スザーネ・ラウテンバッハー (Vo) <br />
バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ (Vox, SVBX526)
</p>

<p>
バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは，
ぼくがもっとも愛してやまない曲集のひとつだ．
当然のことながら世の中には同じ想いの人が多いのだろう，
コンサートやCDで数多く取り上げられるので，名演もあまた存在する．
ぼく自身，コンサートを含め，これまでにどれだけの演奏に触れたか数え切れないが，
現在手元に残っている10種類ほどのCDはどれも素晴らしく，
2位以下を決めるのは容易ではない．だが，1位についてはずっと迷う必要がなかった．
15年前に出会って以来，前橋汀子の演奏が変わらずその地位を占めてきた．
ぼくにとってこれを超える演奏に出会うことはついにないのではないかと思い始めていた．
</p>
<p>
そんなとき，このCD-Rを入手した．
</p>

<h4>至福の演奏</h4>
<p>
ラウテンバッハーの無伴奏は，
64年に録音されたものをすでに持っていて，
これもいい演奏ではあるものの，
前橋を超えるほどには気に入らなかったので，
この73,74年版にもそれほど大きな期待をしていなかった．
ところが，
最初にかけたソナタ第1番の冒頭，
少し聴いただけで，
「これは…」と思わされた．
その想いは音楽が進むほどに強くなってゆく．
雷に打たれたような感動というのではない．
聴き進むほどにじわじわと心にひろがってゆくような感動と言ったらいいだろうか．
月並みな表現だが，
至福の境地に誘われるような心持ちで，
気がつけばうっすらと涙さえ浮かんでいた．
</p>

<p>
ぼくは，一部で高く評価されているペトレの演奏はあまり好きではなく，
それよりはシゲティ―前橋の系譜に連なるような演奏が好みだ．
精神的な演奏という言葉はあまり使いたくはないのだが，
とはいえ，深いと形容せざるを得ない演奏は世の中にあるように思う．
</p>

<p>
ラウテンバッハーには，シゲティや前橋のようなゴツゴツした感じはなく，
もっと自然なのだが，それでいて何とも言えない深みを感じさせる．
</p>

<h4>人様の言葉を借りよう</h4>
<p>
加藤幸弘さんの掲示板でのKUROさんという方の評．
</p>
<blockquote cite="http://hpmboard1.nifty.com/cgi-bin/thread.cgi?user_id=DZQ01721&amp;disp_no=1837"><p>
なんと言えばいいのでしょうか。
これほどの気高い演奏はこれから先も出会うことはもうないかもしれません。
それほどに感銘をうける内容でした。
ただし、
一度や二度聴いただけでは、
なかなか全てを理解できるものではない所がちょっと厄介ですが・・・まさに大人の音楽が間違いなくそこに存在しているのだという実感を与えてくれる演奏だと思います。
</p></blockquote>

<p>
2006/10/6現在で，280種！ものCDをお持ちのT.S.さんの評．
この方の賛辞はぼくのものなんかと違って権威がある．
</p>
<blockquote cite="http://www.sam.hi-ho.ne.jp/t-suzuki/s_and_p/reviews.html#lautenbacher2"><p>
正統路線を極めたかのような堂々たる演奏！
何の迷いも感じられないひたむきな表現に，そして淀みのないテンポ感，
静かな推進感に心奪われます。 深々とした重音の響きの美しさ，
一つ一つの音のつながりの美しさ，
これはもう芸術的「技」としか言いようがありません。
技術的にはそれほどキレの良い演奏ではありません。
正直言って「あれっ？」という第一印象でした。 しかし，
聴き進むにつれてそんな印象はどこかに吹っ飛んでしまいました。
なぜそんな不満を持ったのか，今となってはもう思い出せません。
味わい深い好演！
</p></blockquote>

<h4>めぐり逢えて本当によかった</h4>
<p>
まだこのCD-Rを入手して半年も経っていないが，
さて，
今後，
これよりも気に入る演奏に出会うという幸福がぼくの人生に待っているのかどうか．
それは望みすぎのような気がしている．
</p>

<h4>関連リンク</h4>
<ul>
  <li><a
  href="http://www.sam.hi-ho.ne.jp/t-suzuki/s_and_p/reviews.html">バッハ：無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ
CDの感想</a></li>
  <li><a
  href="http://www.cd101.net/SVBX526.html" title="このCD-Rの販売元">Vox Unique</a></li>
  <li><a
  href="http://www.aria-cd.com/">クラシックCD通販ショップ
アリアCD</a> ぼくはこのCD-Rをこちらで入手した</li>
</ul>
]]></description>
 <category>音楽</category>
<comments>http://horuso.net/item/29</comments>
 <pubDate>Fri, 6 Oct 2006 01:33:51 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[トントンギコギコ図工の時間]]></title>
 <link>http://horuso.net/item/28</link>
<description><![CDATA[<h4>おもしろくて退屈</h4>
<p>
<a
title="Amazonアフィリエイト"
href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000AYB2N0/horusonet-22"><img
src="http://images.amazon.com/images/P/B000AYB2N0.01._PE00_OU09_SCMZZZZZZZ_.jpg"
alt="トントンギコギコ図工の時間"
/></a>
こどもはみんなとてつもない創造力を持っていて，
思いがけない発想でおもしろくてたまらないものを作り出すことは，
子育て中，あるいは子育てをした人なら誰でも知っている．
本当はどんな大人でもかつてそのようなこどもだったはずだから，
別に子育て経験ありの人に限定しなくてもいいようなものだが，
みんなこどもの頃のことなどすっかり忘れてしまっているはずだ．
</p>
<p>
ぼくにもつい先日7歳になったばかりの息子が一人いて，
彼が描いたり作ったりするものに驚かされるのは日常茶飯事だ．
しかし，
ぼくの場合，
彼の工作につきあっていると，
おもしろいことはおもしろいのだが，
長くなるとときどき退屈してしまう．
この映画もまったく同様で，
とてもおもしろかったのだが，
ときどき退屈だった．退屈といっても，決して悪い意味ではないが，
図工の時間のドキュメンタリーと言えるこの映画の鑑賞には，こどもの遊びに腰を据えてつきあう我慢強さが必要な気がする．
</p>

<h4>図工の時間の外は？</h4>
<p>
日野第3小学校のこどもたちが過ごす図工の時間と，
そこで彼らが作り出すものたちは，ほんとうに掛け値なしに素晴らしいのだが，
インタビューから垣間見える，
図工の時間以外のことを考えると，どうにも重い気分になる．
</p>
<p>
本来，
こどもの日常は起きている間中が「トントンギコギコの時間」なのではないか？
図工の時間だけがトントンギコギコではないはずだ．もちろん，
図工の時間には工具を使って大がかりなことができるのだろうが，
それ以外の時間も創造力の発現に充ち満ちているはずでは？
</p>
<p>
「家で何をして遊ぶ？」という問いに，
「勉強づくしだから…」「土日は基本的に勉強している」と3年生の男の子が答えたのに始まって，
「塾が終わるのが9時15分だから…．
望みが叶うならラクになりたい」とか，
「受験勉強に2年間費やしてしまった」とか，
「中学行くと全然遊べなくなっちゃうから…お姉ちゃんも全然遊んでないから」といった言葉がぽんぽん出てきて，
こどもたちが置かれている厳しい状況がひしひしと伝わってくる．
</p>

<h4>どう育てるべきか…</h4>
<p>
冒頭に書いたように，
こどもは誰でも創造的だが，
大人は決してそうではなく，
<q>
<strong>大人はこどもの黄昏か</strong>
</q>
という，作者を失念してしまった詩の一節を全面的には認めたくないとしても，
少なくとも創造力に関しては，
ぼくも含めてほとんどの人が成長の過程でスポイルされているように思う．
</p>
<p>
ぼくの息子はいまでも，
ほとんど起きている間中「トントンギコギコの時間」を生きている．
まだ低学年だからあるいは当然なのかもしれないが，
知育とか早期教育と名のつくことを一切しなかったことと，
テレビやゲーム機器のたぐいを今に至るまで与えていないことも大きく与っているのではないかと自負している．
</p>
<p>
だが，
『おもしろい本を読むことや創造的な遊びの方が勉強なんかよりよっぽど大切だぜ』という態度でこのまま育て続けてよいものかどうか．
将来，
もっと勉強させてくれていたらと息子に詰られやしないだろうか．
そんなことも胸中に去来する昨今なので，
この映画に描かれているこどもたちのすばらしさよりも，
それをスポイルしないようにするにはどうしたらいいのかという想いを強く感じてしまった．
</p>
<p>
そういう意味で非常に共感した山本眞人氏の言葉を引用する．
</p>
<blockquote
cite="http://www.janjan.jp/editor/0501/0501242901/1.php"><p>
この映画を見ていて切ない気持ちにさせられのは、
間もなく小学校を卒業しなくてはならない、
６年生の心のうちの寂しさが伝わってくるところだ。
もう内野先生の図工の時間に出られなくなってしまうこと。
キラキラとした子ども時代から離れていかなくてはならないこと。
この子どもたちは、
どんな中学生、
高校生になっていくのだろうか。
生き生きとした感性を伸ばしていくことができるだろうか。
（中略）この映画は、
製作チームの意図も超えて、
さまざまな問いかけを含んでいると思われる。
</p></blockquote>

<p>
もうひとつ，
以下に引用する松家仁之氏の言葉にはうならせられた．
あの場面は本当にそうだった！この批評によって，
ぼくの中でのこの映画の価値が一格あがったし，
思わず<a
title="Amazonアフィリエイト"
href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000AYB2N0/horusonet-22">
本作のDVD</a>を注文したくなってしまった．
それでもおさまらず，
現在はどうなのか知らないが，
少なくとも引用記事が書かれた2004年には氏が編集長を務めておられた雑誌「考える人」を定期購読する気持ちにすらなっている（笑）．
</p>

<blockquote
cite="http://book.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mailmag_html/070.html"><p>
最後に６年生の「卒業制作」が完成し、
その完成した作品の何点かが、
間近に寄ったカメラによってゆっくりと丹念に写される場面があります。
その写されている作品を見ていたら、
訳もわからず涙が出てきたのです。
いや訳もわからない、
のではありません。
小学校６年生のそれぞれの個人のなかにある、
十年以上をかけて育ってきた何ものか、
それはもう引き返すこともない、
そして、
これから壊れたり、
傷つけられたり、
歪められたりする可能性を絶対的には排除できない、
それぞれの子どもたちのたましいのようなものが、
奇蹟的に写っていたからなのです。
それは本当に細い細いピアノ線のようなものの上で片足でバランスをとって揺れているような何かであり、
見ているうちに祈るような気持ちにさせられる何ものかだったのです。
</p></blockquote>

<h4>関連リンク</h4>
<ul>
  <li><a href="http://book.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mailmag_html/070.html"
  title="トントンギコギコ">考える人</a></li>
  <li><a href="http://www.janjan.jp/editor/0501/0501242901/1.php"
  title="「トントンギコギコ図工の時間」がくれた希望（編集委員レビュー１月第４週）">市民メディア・インターネット新聞ＪＡＮＪＡＮ</a></li>
  <li><a href="http://www.janjan.jp/culture/0412/0412141634/1.php"
  title="「創造力」と「図工の時間」　～映画『トントンギコギコ図工の時間』を見て～">市民メディア・インターネット新聞ＪＡＮＪＡＮ</a></li>
  <li><a href="http://www.zukodaisuki.com/blog/archives/2005/10/post_66.html"
  title="品川区立第三日野小学校　　　内野　務">図工だいすき子ども美術展2005  9th</a></li>
  <li><a href="http://korobb.exblog.jp/3132199/"
  title="映画「トントンギコギコ図工の時間」を見て">図工準備室</a></li>
  <li><a href="http://iroiroart.exblog.jp/3859883/"
  title="トントンギコギコ図工の時間">わくわくアート</a></li>
  <li><a href="http://www.tontongikogiko.com/"
  title="公式サイト">トントンギコギコ図工の時間</a></li>
</ul>
]]></description>
 <category>映画</category>
<comments>http://horuso.net/item/28</comments>
 <pubDate>Mon, 7 Aug 2006 01:19:11 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[ダ・ヴィンチ・コード]]></title>
 <link>http://horuso.net/item/27</link>
<description><![CDATA[<h4>まったくわからん</h4>

<p>
<img src="/pblog/files/dl.php?id=15" alt="最後の晩餐"
width="320" height="240" />
それほどできのよい映画ではないと思うが，映画としての感想を云々する以前に，
中心となる秘密にまつわる論理が納得できないのが痛い．
鑑賞中もずっと首をかしげていて落ち着けなかった．
</p>

<p>
いちばんのポイントは，ソフィーがイエスの子孫だということだよねえ？
</p>

<p>
DNA鑑定という言葉が出てくるので，
血脈の証明は科学的になされると考えられているようだ．しかし，
それをどうやってやるのか，見当もつかない．
</p>

<p>
たしかに，
ソフィーがあの棺に納められている女性の子孫であることは証明できるだろう．
だけど，
棺の女性が本当にマグダラのマリアであることをどうやって証明するのか判らないし，
百歩譲ってそれができたとしても，
ソフィーにイエスのDNAが入っていることの証明はどうやるんだ？
ソフィーが，ある男性とマグダラのマリアの間に生まれた子供の子孫であることしか言えないのではないのか？
</p>

<p>
原作を読んでいないし読む気もないが，
原作ではこのあたりの論理展開がきちっとなされているのだろうか．
</p>

<p>
それとも，ぼくがとんでもない見落としをしていて，
映画もちゃんとつじつまが合ってる？
</p>

<p>
誰か教えてくれないかなあ…．
</p>

<h4>関連リンク</h4>
<ul>
  <li><a href="http://www.sonypictures.jp/movies/thedavincicode/"
  title="公式サイト">ダ・ヴィンチ・コード</a></li>
</ul>
]]></description>
 <category>映画</category>
<comments>http://horuso.net/item/27</comments>
 <pubDate>Sat, 3 Jun 2006 01:13:45 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[キング・コング]]></title>
 <link>http://horuso.net/item/26</link>
<description><![CDATA[<h4>オリジナルとかけはなれた方がよかったかも</h4>

<p><img src="/pblog/files/dl.php?id=14" alt="キング・コング"
width="280" height="158" />
ピーター・ジャクソン監督は，
オリジナルの1933年版を観て監督を志したと言うだけあり，
オリジナルへのリスペクトが随所に感じられたし，
筋も基本的に同じだが，
違うところもある．
その最たるものは，
コングとアンが心を通わせるところ．
しかし，
これはダメだ．
アンに拒絶されたままだからこそ，
コングの悲劇が際だつのではないか．
そうでないと，
“<em>It was beauty killed the beast.</em>”という言葉が生きない．
</p>

<p>
本当は1933年版もそうなのだが，この2005年版のような描き方だと，
このセリフを呟く監督に向かって，
「おまえが殺したんだろ！」と突っ込みたくなる．
</p>

<blockquote cite="http://moreysroom.exblog.jp/4019065/"><p>
あの最後の台詞は、有名なのだろうけど、「連れてきたお前のせいじゃ！！」と最後の最後にカールにムカついたのは私だけなのだろうか？
</p>
</blockquote>

<p>
やっぱり，そう思うよねえ．
</p>

<p>
ナオミ・ワッツが，インタビューで，
いまどきの観客が悲鳴を上げるだけの女性を観ても面白くないでしょ，
という意味のことを言っている．
</p>

<p>
面白いかどうかはさておき，
そういうキャラクター造りがもはやできないというのはよくわかる．
そして，そうなのだとしたら，コングとアンが心を通わせるのは必然となる．
</p>

<p>
ということは，
残念ながら，現代においてキング・コングを忠実にリメイクしようとした時点で，
最初からすでにオリジナルを越えられないことが約束されていたと言えるだろう．
</p>

<p>
映画は時代と切り離せない芸術なのだということが改めて確認できた気がする．
</p>

<h4>CG技術もここまで来たか</h4>

<p>
想像はしていたが，映像があまりにもリアルなのには驚く．
草食恐竜群と人間たちが一緒になって疾走するモッブシーンだけ若干不自然さを感じたが，
他はひたすらリアル．コングとティラノサウルスが戦うシーンなんて，
本物としか見えなかった．
この映像を観るだけで映画館に足を運ぶ意味は十分ある．
</p>

<h4>個人的に記念すべき映画</h4>

<p>
本作は6歳の息子にとって初めて映画館で鑑賞した映画となった．
1933年版のDVDでキング・コングが大好きになっていたので，
そろそろ初体験をさせなくてはと考え，おそるおそる連れて行った．
怖がって途中で出ないといけないかもしれないと考えていたのは杞憂で，
コングが出てくるまでは退屈そうだったが（無理もない，
字幕が読めないので映像だけだし，そもそも前半は長すぎたと思う），
後はすごいのめり込みようだった．
</p>

<p>途中からもう涙ボロボロの妻を横目に，父の威厳（笑）を保っていたが，</p>
<ol>
<li>コングがクロロフォルムにやられて昏睡する直前，
アンに向かって手をさしのべるときに見せる物問いたげな瞳．</li>
<li>エンパイア・ステート・ビルディング上で，かなり傷ついたコングが，
最後の力を振り絞って飛行機を威嚇する，悲鳴のような雄叫び．</li>
</ol>
<p>この二つには危うくやられそうになった．</p>

<h4>追記</h4>

<p>
コングがエンパイア・ステート・ビルディングに上って墜ちたのは，
アメリカ資本主義に敗れ去る自然の象徴のはずなのに，
1933年版と違って2005年版はそんなこと微塵も感じさせなかったな，
と思いながらネットを見ていると，刮目すべき記事が．
</p>

<blockquote cite="http://blog.livedoor.jp/cinema_chitsuco/archives/50342685.html"><p>
だけどね、
NYから十分逃げおおせたにも関わらず、
愛するあんたに夕陽をみせる為、
エンパイア・ステート・ビルディングに上ったお陰で殺されたってゆーのに、
別の男の胸に自ら飛び込むってどういうことよ？
</p></blockquote>

<p>
コングは本作ではアンに夕陽を見せるために上ったのか！
言われてみればそのとおり．ちつ子さんに感服というか，
自分の間抜けさ加減にあきれるというか…．
</p>

<p>
ようするに，1933年版とは似て非なる物語だったワケね．そう考えれば，
確かにちつ子さんが上記引用の後で書かれているとおり，
オリジナルと違い，アンと人間の男との恋愛感情はいらない，あるいはうまく描けていないな．
</p>

<p>
ところで，<a href="http://blog.livedoor.jp/cinema_chitsuco/">ちつ子さんのエッセイ</a>，まだ斜め読みだけど，
どれも読み応えがあって必読と言える．
</p>

<h4>[2006/3/12 追記]</h4>

<p>アロハ坊主さんの記事でも，夕陽の件が書かれていた．映画の文法から言っても，気付かされてみれば当然至極で，これを読み取れなかったのはほんと情けないよなー．1933年版のことを忘れて観ていたらまさか見落とさなかったよと自分を慰めたい．（笑）</p>
<blockquote cite="http://blog.alohabouz.jp/?eid=384935"><p>
その解釈を、監督(および脚本家）はゴングが髑髏島でアンと見た美しい夕陽と同じように見える場所がエンパイア・ステート・ビルで、ゴングは二人で一緒に同じ夕陽を見たいがために登ったのだと描いている。
</p></blockquote>

<h4>関連リンク</h4>
<ul>
  <li><a
  href="http://blog.livedoor.jp/cinema_chitsuco/archives/50342685.html"
  title="キング・コング">ちつ子の調教シネマCAFE</a></li>
  <li><a
  href="http://blog.alohabouz.jp/?eid=384935"
  title="[　キング・コング　]あの夕陽をあなたと二人で見たかった">アロハ坊主の日がな一日</a></li>
  <li><a
  href="http://blog.livedoor.jp/badzilla/archives/50293156.html"
  title="キナガザルの大陸　ロングコングの逆襲─『キング・コング』">Club Blog-Gamo Bazil's Blog of "B"</a></li>
  <li><a href="http://www.kk-movie.jp/top.html"
  title="公式サイト">キング・コング</a></li>
</ul>
]]></description>
 <category>映画</category>
<comments>http://horuso.net/item/26</comments>
 <pubDate>Sat, 11 Mar 2006 03:38:32 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[大人]]></title>
 <link>http://horuso.net/item/25</link>
<description><![CDATA[<h4>最近，車の中ではほとんどコレ</h4>
<p>
<a
title="Amazonアフィリエイト"
href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000BVXFQE/horusonet-22"><img
src="http://images-jp.amazon.com/images/P/B000BVXFQE.09._OU09_PE0_SCMZZZZZZZ_.jpg"
alt="大人(ADULT)"
/></a>
東京事変<br />
大人（ADULT） (東芝EMI - TOCT25884)
</p>

<p>
テレビを一切見ずにあまり世の流れに関係のない職場にこもっていると，
こちらから興味を持たない限り，世間で起こっていることが全然わからなくなる．
だから，しばらく前にふとしたことから耳にした椎名林檎は，
その名前すら知らなかった．
ここ15年ほどはいわゆるclassical
music以外の音楽はほとんど聴いていないのだが，
それでも少しは他の音楽にも接することがあり，
その中では間違いなく最大の収穫．
ピンク・フロイドあたりのプログレでとまっていたロック受容を後悔させられたほどだ．
</p>

<h4>歴史的名盤</h4>
<p>
だから，
<span class="title">無罪モラトリアム</span>も本盤もほぼ同時に接したという，
同時代的な思い入れのない，
ある意味公平な立場で言わせてもらうと，
本盤は椎名林檎の（これまでの）最高傑作だと思う．
アルバム中，
どこを切っても最高としか言いようがないが，
しいて一カ所だけ挙げるなら，
<span class="title">雪国</span>ラストから<span class="title">歌舞伎</span>へつながる部分のドラムス．
もう鳥肌もの．
</p>

<h4>もちろん1stアルバムもすごいけど</h4>
<p>
ネットを見て回って，本盤に比べて<span class="title">無罪モラトリアム</span>がいかによかったかという声が多いのに驚くと同時に，
吉田秀和氏の文章を思い出させられた．
</p>

<blockquote
cite="吉田秀和「私の好きな曲」(新潮文庫版)
p.53"><p>
多くの芸術家が，
その第一作で決定的な声価を獲得し，
その後は，
人間的にも芸術的にも，
より成熟した創作をしたにもかかわらず，
いつも，
第一作に及ばない，
あるいは第一作のもっていた否応なく人をひきつける魅力にかけるといって非難されたり，
おしまれたりしてきた．
ゲーテは，
随分あとあとまで，
『ヴェルテル』のような作品をもう二度と書けなくなったといわれ，
げっそりしていた．
ベートーヴェンは，
あのすばらしい『エロイカ』を書き，
第四，
第五，
第六交響曲を発表したあとでさえ，
「第一交響曲のあのみずみずしい自発性を失ってしまって，
ただもう難解で晦渋で，
わざとらしい作為のめだつ曲ばかり書くようになった．
ベートーヴェンよ，
第一交響曲に戻りたまえ」という説教を，
くりかえしきかされて，
憤激していた．
こういう例は，
まだ，
いくらも，
ひろえるだろう．
</p></blockquote>

<h4>だが，バンド名は好きじゃないな</h4>
<p>
事変という言葉は，
騒乱や（宣戦布告なしの）戦争と無関係に使われる場合もあるだろうが，
ぼくが連想するのは満州事変や日支事変だ．
おおかたの人もその類の事柄を頭に浮かべるのではないだろうか．
ツアーにもダイナマイトの呼称を使ったらしく，
確信犯と思われるが，
「事変」に痛みを感じる人も少なくないことを鑑みれば，挑発的に過ぎる気がする．
</p>

<h4>関連リンク</h4>
<ul>
  <li><a
  href="http://www.toshiba-emi.co.jp/tokyojihen/top/index_j.htm">東京事変 公式サイト</a></li>
  <li><a
  href="http://ameblo.jp/sachi-gravity/entry-10008560346.html"
  title="大人～ＡＤＵＬＴ～">about a girl</a></li>
</ul>
]]></description>
 <category>音楽</category>
<comments>http://horuso.net/item/25</comments>
 <pubDate>Wed, 8 Mar 2006 02:54:03 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[県庁の星]]></title>
 <link>http://horuso.net/item/24</link>
<description><![CDATA[<h4>映画らしくない映画</h4>
<p>
<img
src="http://horuso.net/pblog/files/bin.php?id=13"
alt="県庁の星・主役二人" />
試写会で見た．
なんとなく映画という感じがせず，
テレビドラマのようだった．
テレビを持たず，
ここ10年ぐらいはほとんどテレビドラマを見ていないのにそう言うのは的外れかもしれないが…．
</p>
<p>映画らしい力のある映像がないのがいちばんの理由だと思うが，
それだけでもなさそう．少しネットを調べてみたら，この西谷弘という監督，
テレビで鳴らしている人で，映画は初めてらしい．ま，
そういうことなのだろう．
</p>

<p>ネットで同じような感想を漏らす人がすぐに何人も見つかった．
その一例．</p>

<blockquote cite="http://yksut.seesaa.net/article/13846289.html"><p>
TVの2時間ドラマだね。<br />
映画としてはちょっと物足りない。
</p></blockquote>

<h4>邦画らしい邦画，
あるいは東宝サラリーマン喜劇の遠いこだま</h4>
<p>
この映画には，
源氏鶏太原作を中心とした東宝サラリーマン喜劇と通底したものを感じる．シチュエーションはまるで異質かもしれないが，観客に与える効果において似通ったものがあるのではないか．
</p>
<p>
もっとも，
ぼくはそれらの映画を当然リアルタイムで観ておらず，
そのうちのほんのわずかを後年テレビで観たにすぎない．
クレージーキャッツ物は丹念に観たが，
あれらは鬼子と言うべきで，
東宝サラリーマン喜劇の正統とは決して言えないだろう．
</p>
<p>
ただ，
源氏鶏太の諸作については，
おばが集めていたおかげで，
小学生の頃かなり読んでどれも好きだったので，
雰囲気は過たずつかんでいると思う．
</p>

<p>
一体に，
邦画というと，その始まりの頃に関して，
浅草六区だの，
丁稚・奉公人の娯楽だのといった連想がなぜか働く．
字幕をトレースできないような階級の人々が明日への活力を得ていたという，
当たっているかどうかもわからない，
ほとんど偏見的な思いこみがぼくにはあり，
その意味からは，
東宝サラリーマン喜劇こそ邦画の本流ではないかと考えている．
この映画に，その遠いこだまを聞き取るのは，
配給が東宝だからという牽強付会ではないと思う．
</p>

<h4>仕事がしたくなる</h4>
<p>
というのも，
映画を見終わったときに，
なにか元気をもらった感じがし，
自分が「改革」の余地がある仕事を持っていることに感謝する気持ちにさせられるからだ．
</p>
<p>
まさに，東宝サラリーマン喜劇ではないか．
</p>
<p>
もっとも，こうした映画は東宝サラリーマン喜劇に限らず，昔の邦画にはよくあったタイプかもしれない．
</p>

<h4>追記</h4>
<p>
ネットで人の感想を読むと自分の立ち位置がよくわかってとても面白いが，
そういう意味では，
まるで異質な方の感想がためになる．
たとえば，
下記に引用する，たにぐちまさひろ氏の感想を読むと，
氏が社会派であるというぼくの認識を再確認するとともに，
オレって本当に自分のことしか考えていないエゴイストだなあと痛感させられる．
</p>

<blockquote cite="http://tanichan.exblog.jp/4206192/"><p>
そして、この映画の中で気付く一番大切なこと。</p>
<p>
官が悪い、民が悪いと足の引っ張り合いをするのではなく、長所も短所も受け入れながら、一緒になっていいものを創り上げようとする気持ち
</p>
<p>なんだということ。
</p></blockquote>

<p>
たにぐち氏の感想へのトラックバックから，
どうもテレビドラマだなあという気持ちを的確に敷衍してくれているYin
Yan氏のレビューを見つけた．
</p>

<blockquote cite="http://blog.livedoor.jp/hendrix1/archives/50062632.html"><p>
2時間11分かけて面白いテレビドラマのダイジェスト版を観た気分である。
</p></blockquote>

<p>
言い得て妙．このレビューは引用した部分以外の記述も実に素晴らしく，必読だ．
</p>

<p>
もうひとつ，アロハ坊主さんの<a href="http://blog.alohabouz.jp/?eid=428621" title="[　県庁の星　]赤VS青">赤VS青</a>という視点はとても面白く，ためになった．野村のネクタイの色なんて全然見てなかった！
</p>

<h4>関連リンク</h4>
<ul>
  <li><a
  href="http://tanichan.exblog.jp/4206192/"
  title="県庁の星">たにぐちまさひろWEBLOG</a></li>
  <li><a
  href="http://blog.livedoor.jp/hendrix1/archives/50062632.html"
  title="県庁の星">俺の話を聴け～！</a></li>
 <li><a
  href="http://blog.alohabouz.jp/?eid=428621"
  title="[　県庁の星　]赤VS青">アロハ坊主の日がな一日</a></li>
  <li><a href="http://kaikaku-movie.jp/"
  title="公式サイト">県庁の星</a></li>
</ul>
]]></description>
 <category>映画</category>
<comments>http://horuso.net/item/24</comments>
 <pubDate>Mon, 6 Mar 2006 01:15:01 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[アンドリューNDR114]]></title>
 <link>http://horuso.net/item/23</link>
<description><![CDATA[<h4>The Bicentennial Man</h4>
<p>
<a
title="Amazonアフィリエイト"
href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009J8C0C/horusonet-22"><img
src="http://images-jp.amazon.com/images/P/B0009J8C0C.09.MZZZZZZZ.jpg"
alt="アンドリューNDR114"
/></a>
アシモフ原作の，
人間になりたいロボットの200年にわたる物語．
</p>

<p>観終わったとき，
原作より遙かに落ちると感じ，
比べたくなった．
さっそく<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4789723437/horusonet-22">コンプリート・ロボット</a>を注文し，
四半世紀ぶりにバイセンテニアル・マンを読んでみた．
すると残念なことに，
小説の方も記憶ほどの傑作ではなかった．
ストーリーテラーとしてのアシモフの面目躍如たる作品で，
よくできたエンタテインメントであることは間違いない．
だが，その範疇を越え，
自由とは何か，
人間とは何かというテーマを語る思弁小説のように記憶していたが，
そうではなかった．
</p>

<h4>これはSF映画じゃない</h4>
<p>
それでも，
映画の方が落ちるという判断は動かなかった．
</p>

<p>
まず，
原作はSFだが，
映画はSFではない．
だからいけない，
とは普通はならないが，
アシモフのロボットものはどうしてもSFであって欲しい．
</p>

<p>
どこがSFではないかというと，
一応は紹介される三原則へのこだわりが見えないところだ．
端々にそのことが窺えるが，
顕著に表れるのは，
ガラテアがポーシャと生命維持装置らしきものとの接続を外すラストだ．
おそらくは即座の死を意味するその行為よりも，
外さないことの方がより深い意味でポーシャを殺すことだと，
ガラテアが判断しない限りあり得ないことだ．
ロボットがそこまで進化したと観客に解釈させるなら，
そのための伏線なり説明なりが必要だろう．
同様に，
アンドリューが自らを死ぬように改造することがなぜ第3原則に反しないかについても説明がいる（原作では一応説明されている）．このあたりのこだわりがSFをSFたらしめるのだから．
</p>

<h4>人間とは何か</h4>
<p>
世界裁判所がついにアンドリューのことを200歳の人間だと宣言する直前にアンドリューは機能を停止してしまう．
それを見たガラテアが，
間に合えばよかったのにという意味の発言をするのに対して，
ポーシャが必要なかったのでしょうと答えるのはもっと解せない．
それはないだろう．
なぜなら，
その宣言を聞くことこそが，
アンドリューの考える，
人間とは何かということに直結しているのだから．
</p>

<p>
人間とは何か．
<strong>Man is mortal.</strong>と思えるかもしれないが，
実はそうではない．
あきらかに，
アンドリューにとって，
<strong>人間とは（すべての）人間によって人間であると認められたもの</strong>，
なのである．
この定義は循環しているので，
たとえば，
アダムは人間であるという条件を足さなければ機能しないが．
</p>

<p>
もちろん，
人間が，あるものを人間であると認めるための必要条件に，
滅ぶべき存在であることが含まれるということだろうが，
それは，
滅ぶべき存在であることが人間であることの必要条件だというのとは違う．
もしそれでよいのなら，
アンドリューは何も法廷闘争を起こさなくてもよいのだ．ポーシャと愛しあえていることに満足して静かに暮らせばよい．
</p>

<h4>映画としてはやむを得ないのかもしれないが…</h4>
<p>
ポーシャとアンドリューとの恋愛を加えるところが，
映画としての成立にはほぼ必須と思えるものの，
やはり物語の求心性を失わせているのは否めない．
アンドリューがmortalであることを選ぶ理由にも，
愛する人の死のあとに続く永遠からの逃避というニュアンスが生じてきてしまう気がする．
</p>
<p>それに，肝心のセンチメンタリズムも減じていると思う．
アンドリューが今際の際に「リトル・ミス…」と呟く原作のラストの方が，
胸に迫るのはぼくだけではないだろう．
おそらく100年以上前に亡くなっているリトル・ミスへの愛情が伝わってきて切ない．
</p>

<h4>アメリカの自由</h4>
<p>
原作にある，
アンドリューが自らの自由を法廷で認めさせるくだりがどうして映画にはないのだろう．
「自由という概念を把握しその状態を欲するほど進化した頭脳をもつものに対して自由を拒否する権利はない」という判決は優れてアメリカ的だと思う．
“<em>Give me liberty or give me death!</em>”という，
独立戦争にあたってのパトリック・ヘンリーのスピーチを想い起こさせる．
</p>

<p>
この原作がアメリカ建国200年を記念して作られたことを鑑みると，
実はこの部分はとても重要なのだが，
あれから30年近く経って，
「アメリカの自由」を無邪気に謳いあげることができなくなったのだろうか．
</p>

<h4>なぜ人間になりたいのだろう</h4>
<p>
原作を再読して期待はずれだったのは，
アンドリューが人間になりたい理由が伝わってこないことだ．
映画では，女性と愛しあいたいからということらしく，
それはそれで納得できないが，
原作もさっぱりわからない．
三原則の埒外の存在になりたいというのなら理解できるが，
先に書いた意味での人間，
あるいは百歩譲って滅ぶべき存在としての人間になぜなりたいのか…
</p>

<p>
人間が，
知恵の実だけを食べ，
命の実を食べることを許されなかった存在だとするなら，
アンドリューほど高度に発達したロボットこそが，
知恵の実と命の実の両方を食べた存在と言えるのではないだろうか．
</p>

<h4>関連リンク</h4>
<ul>
  <li><a
  href="http://www.sonypictures.jp/archive/movie/andrew/"
  title="アンドリューNDR114">公式サイト</a></li>
  <li><a href="http://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=696"
  title="デイ・アフター・トゥモロー">みんなのシネマレビュー</a></li>
</ul>
]]></description>
 <category>映画</category>
<comments>http://horuso.net/item/23</comments>
 <pubDate>Sun, 4 Dec 2005 02:39:33 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[恋はデジャ・ブ]]></title>
 <link>http://horuso.net/item/22</link>
<description><![CDATA[<h4>ニーチェが泣いて喜ぶ映画！？</h4>
<p>
<a
title="Amazonアフィリエイト"
href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009J8C70/horusonet-22"><img
src="http://images-jp.amazon.com/images/P/B0009J8C70.09.MZZZZZZZ.jpg"
alt="恋はデジャ・ブ"
/></a>
自己中心的で他人への思いやりのかけらもない，
天気予報官フィル・コナーズは，
取材に訪れた田舎町で，
どういうわけか，
まったく同じ日を何度も何度も繰り返すはめに陥ってしまう．
</p>
<p>
現実にはありえないファンタジー？いいや，
どなたも似たような境遇の人をよく知っているはずだ．
</p>
<p>
そう，
あなたも私も，
来る日も来る日も同じ場所で，
同じことの繰り返しでしかない退屈な毎日を生きている．
</p>
<p>
アメリカ映画のいいところは，
わかる人だけわかればいいという態度をとらないこと．
この映画もそうだ．
どんな観客でも，
この映画をただの絵空事ではなく，
自分の人生に突きつけられた問いとして受け取れるように，
「ひとつの場所から出られず，
毎日同じことの繰り返しならどうする？」と問いかけるフィルに「おれの人生だな」と呟く端役をきっちり用意している．
</p>
<p>
この映画は「あなたはいかに生きているのか」を鋭く問うてくる，
おかしくも恐ろしい映画なのだが，
問いかけには終わらない．
この退屈な繰り返しから脱出するにはどうしたらいいのかの答えまで示してくれる．
もっとも，
答えはニーチェが示したものと言うべきかもしれないが．
</p>

<h4>フィルの長い一日</h4>
<p>
フィルは，
最初のうち，
元に戻るのだから何をやってもいいのだということで，
暴走，
暴食，
果ては泥棒と無軌道に過ごすが，
やがて取材に同行しているプロデューサーのリタが好きだということに気づく．
繰り返しを利用して相手の好みを学習し，
部屋まで誘うことに成功するが，
あわやというところで失敗．
その後は何度繰り返しても，
もっと手前で失敗してしまう．
絶望して何度も自殺を試みるが，
もちろん同じ一日の中によみがえってしまう．
思いあまってすべてを告白したことから，
これまでにないぐらいリタと親密になり，
とうとうベッドで並んで眠ることに成功するが，
また同じ朝が来て，
リタはすべてを忘れてしまっている－
</p>
<p>
繰り返しから脱出できないことよりも，
もっと悲しいのは…と呟いていたことが現実になったのに，
なぜかフィルは生まれ変わっている．
だれにでも親切になっただけでなく，
有り余る時間を有意義に使い始めるのだ．
ラストのスピーチを聞く限り，
かなり読書にもいそしんだらしいが，
よく目につくのは氷の彫刻とピアノ演奏だ．
どちらもクライマックスで上手に生かされている．
氷の彫刻はもっとも重要なシーンで使われているし，
パーティでラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲の第18変奏(<span class="title">ある日どこかで</span>で印象的に使われていたロマンティックなメロディ)
をジャズ風に弾くシーンも実によかった．
ラフマニノフをあういう風に弾くと本当にぴったりでびっくり．
それに，
ピアノ演奏を習うきっかけがカフェで流れるモーツァルトのピアノソナタなのは，
モーツァルティアンとしてにこにこさせられた．
</p>
<p>
だが，
フィルが本当に生まれ変わったのは，
乞食のじいさんが死ぬのに出くわしてからなのだろう．
おそらく何度も何度も助けようとするのだが，
運命を変えることはできない．
</p>
<p>
有限の生を生きるものたちの愛おしさ，
同じ時間と空間を共有していることの奇跡…．
</p>

<h4>もちろんコメディ</h4>
<p>
とはいえ，この映画は重苦しく人生を語りはしない．
まぎれもないコメディなのだ．
</p>
<p>
繰り返しから生まれるおかしさが随所にちりばめられているが，
いちばん面白かったのは，
フィルがリタの好みを学習して，
口説き方が少しずつ精緻になるくだり．
19世紀のフランス詩を専攻したというリタを，
最初は時間の無駄だと笑い飛ばしたのが，
次はフランス語で詩を暗唱してみせるところなど，
にやにやしてしまう．
</p>

<h4>今日を楽しもう</h4>
<p>
さて，もちろん映画はハッピーエンド．
フィルはリタを得て無限の繰り返しから脱出するのだが，
魔法の呪文は，フィルがリタに告げる，
“<em>No matter what happens tomorrow or for the rest of my life, I'm happy now.</em>”
だと思う．
</p>
<p>
<strong>今この瞬間をあるがままに愛すること．</strong>
</p>
<p>
こうまとめると，モチーフになっているのは，ニーチェの永遠回帰じゃなくて，
ゲーテのファウストなのかなという気もしてくる．
</p>
<p>
いずれにせよ，とうとう繰り返しから脱出したフィルがリタに言う言葉，
「ぼくと一緒に今日を楽しもう」は泣かせる．
</p>
<p>
この映画を見終わったときの気持ちをずっと忘れないでいられたら，
ぼくの人生もどんなに密度の濃いものになるだろう…．
</p>

<h4>[2006/3/8 追記]</h4>
<p>
久しぶりにこの映画のことをネットで探してみたら，
この映画にニーチェの主題を読み取っているページが現れていて嬉しくなった．
</p>
<blockquote cite="http://rikigaku.livedoor.biz/archives/50218405.html"><p>
この映画はそのものズバリ永劫回帰の問題を私たちに問いかけている哲学的な映画である。
</p></blockquote>

<p>
また，
ほとんど同感！と言えるレビューをひとつだけ見つけたので引用させてもらおう．こちらは，最初にこの記事を書いたときにどうして見落としたのだろう…．
</p>
<blockquote cite="http://kougyoku.exblog.jp/1378939/"><p>
この映画は自分でどうにもできない運命のいたずらに翻弄された男が、自分なりの方法でその運命を楽しみ、生きることの本当の幸せに気づくことがテーマになっている。
</p></blockquote>

<p>
この紅玉さんの文章を読んで，下記に引用する中島敦の文章を思い出した．
そうか，フィルが繰り返しを経て到達した生き方は，
（中島敦が描くところの）三蔵法師や孫悟空の生き方だったのか．
</p>

<blockquote
cite="中島敦『悟浄歎異』(「李陵・弟子・名人伝」角川文庫)
pp.175-176"><p>
およそ対蹠的なこの二人の間に、
しかし、
たった一つ共通点があることに、
俺は気がついた。
それは、
二人がその生き方において、
ともに、
所与を必然と考え、
必然を完全と感じていることだ。
さらには、
その必然を自由と看做していることだ。
金剛石と炭とは同じ物質からでき上がっているのだそうだが、
その金剛石と炭よりももっと違い方のはなはだしいこの二人の生き方が、
ともにこうした現実の受取り方の上に立っているのはおもしろい。
そして、
この「必然と自由の等置」こそ、
彼らが天才であることの徴でなくてなんであろうか？
</p></blockquote>

<h4>関連リンク</h4>
<ul>
  <li><a
  href="http://rikigaku.livedoor.biz/archives/50218405.html"
  title="恋はデジャ・ブ">おすすめ本と最新映画情報【書評と映画レビュー】　本検索、本通販、映画館、読書感想文、評論、批評</a></li>
  <li><a
  href="http://kougyoku.exblog.jp/1378939/"
  title="この映画が好きだ！vol.6">紅玉の甘い戯言</a></li>
  <li><a href="http://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=3143"
  title="恋はデジャ・ブ">みんなのシネマレビュー</a></li>
</ul>
]]></description>
 <category>映画</category>
<comments>http://horuso.net/item/22</comments>
 <pubDate>Fri, 19 Aug 2005 02:35:29 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[ピンポン]]></title>
 <link>http://horuso.net/item/21</link>
<description><![CDATA[<h4>なぜスマイルが負けるのかわからなかった</h4>
<p>
<a
title="Amazonアフィリエイト"
href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/B00006CXKE/horusonet-22"><img
src="http://images-jp.amazon.com/images/P/B00006CXKE.09.MZZZZZZZ.jpg"
width="136"
height="140"
alt="ピンポン"
/></a>
<span class="title">アマデウス</span>と同種の映画なのだろうと思って観ていたら，
全然違ってた．
</p>

<p>
観終わって，あのラストがさっぱりわからなかった．
スマイルがペコを打ち砕くと予想していたので…．
</p>
<p>
あの決勝で，
スマイルは厳しく打ち返さず，言わばわざと負けたのだろう．
ペコの膝を痛める流れからはそうとしか読めない．それなのに，
子供の時と同じく，ヒーローに負けて二度目の笑いを見せてていいの？
それでもって，凡才が国際舞台に立っちゃってていいの？
</p>

<p>
…とまどうばかりだったが，
ネットってありがたいよな．ふくだ氏の<a
href="http://homepage.mac.com/mfukuda2/iken51/iken51.html">ピンポンの研究</a>を読んでやっとわかった．あれはヒーローの挫折と復活の物語だったのか！スマイルは本気で戦って負けたのか！
</p>

<p>
言われてみればその通りで，本当，ぼくは馬鹿だなと情けなくなったが，
負け惜しみ半分で言うなら，
だとすればそういう物語は好きではない．
</p>

<h4>中村獅童とCGはいい</h4>
<p>
<a href="http://horuso.net/item/2">いま，会いにゆきます</a>の中村獅童しか観たことがなかったのだが，
これが映画デビューらしい．存在感のあるいい役者だ．
役にもはまっていたと思う．
</p>

<p>
わりと好きな竹中直人は，意図的かもしれないが，
存在感があまりなく，ちょっぴり残念だった．
</p>

<p>
あと，ラリーが本当に続いているとしか見えないCGはすごい．
</p>

<h4>関連リンク</h4>
<ul>
  <li><a
  href="http://homepage.mac.com/mfukuda2/iken51/iken51.html"
  title="iGallery">ピンポンの研究</a></li>
</ul>
]]></description>
 <category>映画</category>
<comments>http://horuso.net/item/21</comments>
 <pubDate>Wed, 6 Jul 2005 00:27:15 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title><![CDATA[Spanglish]]></title>
 <link>http://horuso.net/item/20</link>
<description><![CDATA[<h4>文化の壁は愛より強い？</h4>
<p>
<img src="/pblog/files/dl.php?id=12" alt="Spanglish"
width="300" height="200" />
異文化交流というか，異文化すれ違い映画なのだろう．
</p>

<p>
メキシコから娘と二人で密入国してきたフロールが，
レストランのシェフ＆経営者のジョン・クラスキー家のメイドとして働き始める．まったく言葉が通じないながらも，お互いに惹かれあうフロールとジョン．秘めた想いだったが，ジョンの妻デボラが終わった不倫を告白したのをきっかけに，とうとう抱きしめあって愛を告白することになる．だが，結局何もせずに，そのまま別れる－
</p>

<p>
見終わって，どうしてジョンは神経症の妻と別れて，
フロールと再婚しないのだろうと不思議だった．
フロールと別れても，あの後クラスキー家がうまくいかずに崩壊するのは目に見えているし…．
ジョンにも多感な年頃の娘がいるので，
お互い娘のために別れるのかなとも思ったが，
どうもそうではないようだ．
</p>

<p>
私立校をやめたくないと喚く，
アメリカ社会に融け込もうとする娘に，
「本当にお母さんとは違うようになりたいの？」と尋ねるシーンがあり，
はっとさせられるのだが，
メキシコ文化にどっぷり浸かったフロールは，
アメリカ文化の権化とも見えるクラスキー父子とはうまくいかないと考えたのではないだろうか．
あるいは，
やはり娘をアメリカ文化に染まらせたくないと考えたのか．
ジョンにとっても事情は同じだろう．
</p>

<p>
マイアミから帰国する飛行機の中で観たので，
一生懸命英語のレッスンをするフロールには身につまされた．
たとえ言葉の障壁が低くなっても，文化の障壁は高いままなんだろうな．
</p>

<p>
それにしても，
仕事がうまくいっていて，裕福で，
いい子供にも恵まれているのに，なぜか不幸なクラスキー家を見ていると，アメリカ社会って病んでるなーと感じさせられる．
あれに同化したくないフロールは正しいよ．
</p>

<h4>関連リンク</h4>
<ul>
  <li><a
  href="http://www.imdb.com/title/tt0371246/"
  title="Spanglish (2004)">IMdB</a></li>
</ul>
]]></description>
 <category>映画</category>
<comments>http://horuso.net/item/20</comments>
 <pubDate>Sun, 5 Jun 2005 02:35:43 +0900</pubDate>
</item>
  </channel>
</rss>