ピーター・ジャクソン監督は,
オリジナルの1933年版を観て監督を志したと言うだけあり,
オリジナルへのリスペクトが随所に感じられたし,
筋も基本的に同じだが,
違うところもある.
その最たるものは,
コングとアンが心を通わせるところ.
しかし,
これはダメだ.
アンに拒絶されたままだからこそ,
コングの悲劇が際だつのではないか.
そうでないと,
“It was beauty killed the beast.”という言葉が生きない.
本当は1933年版もそうなのだが,この2005年版のような描き方だと, このセリフを呟く監督に向かって, 「おまえが殺したんだろ!」と突っ込みたくなる.
あの最後の台詞は、有名なのだろうけど、「連れてきたお前のせいじゃ!!」と最後の最後にカールにムカついたのは私だけなのだろうか?
やっぱり,そう思うよねえ.
ナオミ・ワッツが,インタビューで, いまどきの観客が悲鳴を上げるだけの女性を観ても面白くないでしょ, という意味のことを言っている.
面白いかどうかはさておき, そういうキャラクター造りがもはやできないというのはよくわかる. そして,そうなのだとしたら,コングとアンが心を通わせるのは必然となる.
ということは, 残念ながら,現代においてキング・コングを忠実にリメイクしようとした時点で, 最初からすでにオリジナルを越えられないことが約束されていたと言えるだろう.
映画は時代と切り離せない芸術なのだということが改めて確認できた気がする.
想像はしていたが,映像があまりにもリアルなのには驚く. 草食恐竜群と人間たちが一緒になって疾走するモッブシーンだけ若干不自然さを感じたが, 他はひたすらリアル.コングとティラノサウルスが戦うシーンなんて, 本物としか見えなかった. この映像を観るだけで映画館に足を運ぶ意味は十分ある.
本作は6歳の息子にとって初めて映画館で鑑賞した映画となった. 1933年版のDVDでキング・コングが大好きになっていたので, そろそろ初体験をさせなくてはと考え,おそるおそる連れて行った. 怖がって途中で出ないといけないかもしれないと考えていたのは杞憂で, コングが出てくるまでは退屈そうだったが(無理もない, 字幕が読めないので映像だけだし,そもそも前半は長すぎたと思う), 後はすごいのめり込みようだった.
途中からもう涙ボロボロの妻を横目に,父の威厳(笑)を保っていたが,
この二つには危うくやられそうになった.
コングがエンパイア・ステート・ビルディングに上って墜ちたのは, アメリカ資本主義に敗れ去る自然の象徴のはずなのに, 1933年版と違って2005年版はそんなこと微塵も感じさせなかったな, と思いながらネットを見ていると,刮目すべき記事が.
だけどね、 NYから十分逃げおおせたにも関わらず、 愛するあんたに夕陽をみせる為、 エンパイア・ステート・ビルディングに上ったお陰で殺されたってゆーのに、 別の男の胸に自ら飛び込むってどういうことよ?
コングは本作ではアンに夕陽を見せるために上ったのか! 言われてみればそのとおり.ちつ子さんに感服というか, 自分の間抜けさ加減にあきれるというか….
ようするに,1933年版とは似て非なる物語だったワケね.そう考えれば, 確かにちつ子さんが上記引用の後で書かれているとおり, オリジナルと違い,アンと人間の男との恋愛感情はいらない,あるいはうまく描けていないな.
ところで,ちつ子さんのエッセイ,まだ斜め読みだけど, どれも読み応えがあって必読と言える.
アロハ坊主さんの記事でも,夕陽の件が書かれていた.映画の文法から言っても,気付かされてみれば当然至極で,これを読み取れなかったのはほんと情けないよなー.1933年版のことを忘れて観ていたらまさか見落とさなかったよと自分を慰めたい.(笑)
その解釈を、監督(および脚本家)はゴングが髑髏島でアンと見た美しい夕陽と同じように見える場所がエンパイア・ステート・ビルで、ゴングは二人で一緒に同じ夕陽を見たいがために登ったのだと描いている。
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アロハ坊主: 2006-03-12(日) 22:54:46
「アロハ坊主の日がな一日」の管理人
アロハ坊主です。
トラックバックならびに私のブログを参考にしていただき、どうもありがとうございます。
ピータージャクソン監督の思い入れが見事に
作品として現れていた気がします。去年、鑑賞した中では、マイフェイバリットムービー、ベスト10に入ります。
では、今後ともよろしくです。