成長を止めてしまうことで衝撃から逃避しようとする弱い精神が,
大人になることでそれを受け止めようとする強い精神を感化してしまう物語.
…というのがちょっとずれているとしたら, 永遠の少年というものの光と影を描いた物語だと言いたい.
バリが, 「子供の頃兄が死に, 寝込んだ母親を慰めようと兄の服を着たとき, 初めて母がぼくを見た, そのときぼくの少年期が終わった」と述懐するシーンがあるのだが, 非常に違和感があった. そこまでの彼の姿がむしろ子供っぽく, とても少年期の終わりを自己認識したような大人とは思えなかったからだ. 逆に, 少年期がそこで固定されたのではないかという気がしたが, 後で脚本にはそのことがちゃんと示されていることがわかった. ピーター・パンの初演後のパーティで, 少年ピーターが, 「ぼくはピーター・パンじゃない. 彼です」とバリを指すシーンがあったのだ.
ピーター・パンはもちろん, 母親に忘れられたために永遠に少年のままでい続ける運命を背負ったのだから.
いちばん感情移入できた登場人物はバリの妻だ. 初演をこっそり見に来てバリと会ったとき,謝るバリに,いいの, あの家族がいなかったらこの芝居は書けなかったのでしょうと答える言葉は胸を打つ.
いつものように,感想を書き上げてから,ネットを見て回ったところ, 唯一完全に同意できる文章として,たにぐちまさひろ氏のものをみつけた.
“感動”この映画を表現するとき、誰もがこの言葉を口にします。しかし、自分には、むしろこの逆の感情がこみあげてくるのを感じました。
バリは、名声と、美しいシルビアと、愛らしい4人の男の子を手にしました。しかし、そのために、彼は本当に守るべき妻メアリーを何の感情もなく捨てたのです。 何とか夫の心を振り向かせようと、「私もネバーランドに連れて行って。」 と話すメアリー、ピーター・パン初日上映の日、 誰にも見えない場所でそっと舞台を鑑賞する彼女、そして、 「私は貴方の作品は必ず観てるわ。」そう語る彼女をバリは、 冷たく突き放すのみでした。
結婚して暮らすということは少年には無理なのだから, バリが妻を不幸にしてしまうのは当然の帰結なのだが, あの家族も幸せにしたのかどうか.
バリの, 信じさえすれば…,というのは,ある意味現実逃避だからいつか破綻するのだ. シルヴィアの場合,死によって破綻を回避できたのだが,子供たちはあれからどうなるのだろう.
それこそ少年ではなくなってしまったぼくから見ると,どうにも後味の悪いストーリーからは,結局のところ, 永遠の少年というものは周りにとって迷惑でしかないという真実が浮かび上がってくる.
ネバーランドが出現してくるシーンは映画の真骨頂とも言うべきで, 素晴らしいとしか言いようがない. バリの目に映っている世界と現実が素早いカットで交互に映されるところも映画的で,大いに気に入った. 透けて見えるピーター・パンの芝居も力があって魅力的だ.
あの家族との交流をきっかけにバリも成長を再開するといったストーリーなら好きな映画になったかもしれないと思うが, 事実に基づいている以上,それはないものねだりだろう.
ボストンへ向かう飛行機の中で観たのだが, お金を払って観に行かなくてよかったと思ってしまった. ジョニー・デップは好きなので,行きたい気持ちもあったのだが.
それにしても,ジョニー・デップには, よさそうなのにいまひとつな映画が多いなあ. いまのところ,妹の恋人が最高だと思う.
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たにちゃん: 2005-05-07(土) 09:46:56
こうした形で、私のブログを紹介していただき大変感激しています。
貴兄のこれまでの記事についても、興味をそそるものが多く、休日を利用してじっくり読みたいと思います。
今後とも、よろしくお願いします。