太宰治を読んで,自分にだけ話しかけている,あるいは,
自分のことを書いている,と思いこむ人が多いというが,この映画や,
アニー・ホール,マンハッタンあたりのウディ・アレンの映画を観て,
「俺のことだ」と感じる人も少なくないのではないだろうか.
もっとも,この映画の監督はハーバート・ロスだが, 脚本と主演がウディ・アレンであり, ウディ・アレンの世界だと思って差し支えないだろう.
かくいうぼくも, 若い頃に観たときは, アレン演じるアラン(ややこしい!)に自分を投影してしまった. だが, 情けなさにおいては同じでも, こちらは暗いところが救われないと思った. どういうわけか, アランは情けないのに妙にかっこよくうつったのだ.
いまは, 歳をとったぶん, あの頃のような切実な思いは薄れてしまったが, それでもこの映画を観ると, 幸せな気分になるだけでなく, 生きる勇気が沸いてくる.
ラストで,もう一度自分を肯定する勇気を取り戻すアランがつぶやく, “I guess the secret's not being you, it's being me.”というセリフにどれだけ勇気づけられただろう. ここのところの字幕,ビデオでは「俺は俺なんだ」となっていたが, これは名訳だと思う.
映画は,一度観たら忘れられない, カサブランカのクライマックスで始まるのだが, 文字通りあんぐりと口を開けてスクリーンのハンフリー・ボガートに見入っている, ウディ・アレンの顔といったら!
ミツバチのささやきのアナ・トレントは言うに及ばず, カイロの紫のバラのミア・ファローと比べても, 見苦しいと言って悪ければ, 情けないとしか言いようがないのだが,この顔と,映画館から出ながら,「ぼくにはとてもああはやれない」という意味のセリフをつぶやくシーンがラストで効いてくる.
映画を観てばかりで行動しないと批判されて妻に逃げられたアランは, 親友のディックとリンダ夫妻の紹介で,次から次へとデートするのだが, 女の子の前でどうしても自分を装ってしまう. そして,いいところを見せようとすればするほど失敗して大いに笑わせてくれる.
唯一ありのままの自分を見せられる女性は親友の妻であるリンダだけ. リンダも,神経質なところがアランそっくりで,妙にウマが合うし, 夫は仕事仕事でまるでかまってくれない. そんな二人の心が接近してしまうのは無理もないだろう. リンダの誕生日プレゼントにアランがスカンクの置物を贈る, 人気のない海岸のロングショットは,たしかに,そのあたりの機微を描いて秀逸だ.
かくして, 二人は愛し合ってしまうのだが, アレンが幻のボガートとかけあいをしながらリンダをくどくシーンにはいちばん笑わせられた.
カサブランカのクライマックスで始まった映画は, もう一度同じシーンが, 今度はアランとリンダによって演じられて終わる. 空港で向き合った二人はなぜか霧に包まれ, アランが一世一代の晴れ舞台を演じる.
ここは,敬愛する小林信彦氏の言葉を引用しよう.
“If that plane leaves the ground, and you're not on it with him, you'll regret it - maybe not today, maybe not tomorrow, but soon, and for the rest of your life.”
これは,もちろん,「カサブランカ」のボガートの高名な台詞だが, アレンはさらにこうつけ加える.
「これを言うために,ぼくは生きてきたみたいだ…」
そして,“As Time Goes By”がひときわ高く鳴るとき, 私は吹き出しながらも,わずかに涙を流していたのだった.
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horuso: 2005-10-16(日) 23:10:41
おかげで自分の記事をもう一度読む気になり,関連リンクのところに間違い1カ所,リンク切れ1カ所をみつけて直すことができました.