ぼくは未見だが,同名の映画とは相当違う話のようだ.
だけど,この本こそ映画にしたらぴったりじゃない?
大学生活や二人の暮らし,文章で読むと少々薄く感じてしまうが, 映画のワンシーンとしてはちょうどいい感じだろう. ただ一度のキスはもちろん,泳ぐシーンもとてもフォトジェニックだと思うし, なによりクライマックスの個展で次々に写真が現れるところはぜひとも映像で観てみたい.
だけど生身の女優じゃ静流は演じられないか.
ピュアな恋愛ものは嫌いじゃないのに,読後感はなぜかすっきりしない. どうしてなんだろうとあれこれ考えてみた.
誠人が鈍感で無神経な男だからか. 確かにこの男は, ずっと一緒に過ごしている友人が自分の発する匂いに気づかないと思うほど鈍感だし, みゆきとのデートの後で静流に誕生日を尋ねるような神経の持ち主だ. だが,それはたいして気にならない. もしも女性だったら耐えられないかもしれないが, ぼくは男だし,それも無神経な男の一人だ. 若さと無神経とは分かち難いものなんだ,と肩をすくめてやり過ごすことができる.
もう一度エピローグを読み返してみて,ようやくわかった.
きっとまた会える,このフレーズが気に入らなかったのだ.
誠人が,自分がベッドの上で文庫本を読んでいる写真を見て
それがどれほど脆く,儚い瞬間であったのか,この写真のぼくは気づいていない. 彼女がそばにいることは当たり前で,その日々がいつまでも続くと信じ切っている.
と考えるシーンにはしびれた.まさにそれが人生の本質だと思うからだ. それなのに,この後こんなセリフが続いてしまう.
「思っていれば」と老婦人は言った.
「きっとまた会える.そうでしょ?」
しかも,誠人はみゆきとも次の会話を交わす.
「きっと,いつか―」
「ええ,どこか遠い場所で,きっと,また会えるはずよ」
だから,それまで―
人生にはとりかえしのつかない喪失がたしかにあって, だけど, だからこそ, かけがえがないわけで, その喪失をごまかすのではなく, 抱えながら生きていくもんだろ,とぼくは思う.
いつかどこかでって意味のフレーズ, エピグラフにも現れるので,この作品にとって本質的なんだろうな. ぼくは全然わかっていないんじゃないかという気がしてくる.まるで見当違いの感想を書いているのだろうか.
図書館でふと手にとって借りてみた.
安東能明という著者の作品を読むのは全く初めて.
何の先入観もなく読んだが,
まあ,
時間の無駄だった.
正直,
タイトルに惹かれたのだが,
ほとんどだましとすら思える.
痴呆男性の一人称の物語というのは, 清水義範の「霧の中の終章」は別として, 他に読んだ覚えがかすかにあるが(思い出せない!), 一応新鮮だし,少し前の記憶もどんどん失われていく感じが, 本当にこういう風なのかどうかはわからないものの, なるほどと思わされる程度にはうまく書けていて, 途中までは興味深く読み進めることができた.
だけど,筋も単調だし,もっと悪いのは,結末があまりいただけないこと. 真犯人の見当は割合早くからつくが,その読者への提示の仕方が, 特に必要があるとも思えない, 真犯人の独白によるものというのはお手軽すぎやしないか. 終わり方も後味がよくないうえに,とってつけたようだし….
ドックという名のバーチャルリアリティ風の医療器具がどんな役割を果たすのかとわくわくしていたらまったくの肩すかしだったのも痛い.