自己中心的で他人への思いやりのかけらもない,
天気予報官フィル・コナーズは,
取材に訪れた田舎町で,
どういうわけか,
まったく同じ日を何度も何度も繰り返すはめに陥ってしまう.
現実にはありえないファンタジー?いいや, どなたも似たような境遇の人をよく知っているはずだ.
そう, あなたも私も, 来る日も来る日も同じ場所で, 同じことの繰り返しでしかない退屈な毎日を生きている.
アメリカ映画のいいところは, わかる人だけわかればいいという態度をとらないこと. この映画もそうだ. どんな観客でも, この映画をただの絵空事ではなく, 自分の人生に突きつけられた問いとして受け取れるように, 「ひとつの場所から出られず, 毎日同じことの繰り返しならどうする?」と問いかけるフィルに「おれの人生だな」と呟く端役をきっちり用意している.
この映画は「あなたはいかに生きているのか」を鋭く問うてくる, おかしくも恐ろしい映画なのだが, 問いかけには終わらない. この退屈な繰り返しから脱出するにはどうしたらいいのかの答えまで示してくれる. もっとも, 答えはニーチェが示したものと言うべきかもしれないが.
フィルは, 最初のうち, 元に戻るのだから何をやってもいいのだということで, 暴走, 暴食, 果ては泥棒と無軌道に過ごすが, やがて取材に同行しているプロデューサーのリタが好きだということに気づく. 繰り返しを利用して相手の好みを学習し, 部屋まで誘うことに成功するが, あわやというところで失敗. その後は何度繰り返しても, もっと手前で失敗してしまう. 絶望して何度も自殺を試みるが, もちろん同じ一日の中によみがえってしまう. 思いあまってすべてを告白したことから, これまでにないぐらいリタと親密になり, とうとうベッドで並んで眠ることに成功するが, また同じ朝が来て, リタはすべてを忘れてしまっている-
繰り返しから脱出できないことよりも, もっと悲しいのは…と呟いていたことが現実になったのに, なぜかフィルは生まれ変わっている. だれにでも親切になっただけでなく, 有り余る時間を有意義に使い始めるのだ. ラストのスピーチを聞く限り, かなり読書にもいそしんだらしいが, よく目につくのは氷の彫刻とピアノ演奏だ. どちらもクライマックスで上手に生かされている. 氷の彫刻はもっとも重要なシーンで使われているし, パーティでラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲の第18変奏(ある日どこかでで印象的に使われていたロマンティックなメロディ) をジャズ風に弾くシーンも実によかった. ラフマニノフをあういう風に弾くと本当にぴったりでびっくり. それに, ピアノ演奏を習うきっかけがカフェで流れるモーツァルトのピアノソナタなのは, モーツァルティアンとしてにこにこさせられた.
だが, フィルが本当に生まれ変わったのは, 乞食のじいさんが死ぬのに出くわしてからなのだろう. おそらく何度も何度も助けようとするのだが, 運命を変えることはできない.
有限の生を生きるものたちの愛おしさ, 同じ時間と空間を共有していることの奇跡….
とはいえ,この映画は重苦しく人生を語りはしない. まぎれもないコメディなのだ.
繰り返しから生まれるおかしさが随所にちりばめられているが, いちばん面白かったのは, フィルがリタの好みを学習して, 口説き方が少しずつ精緻になるくだり. 19世紀のフランス詩を専攻したというリタを, 最初は時間の無駄だと笑い飛ばしたのが, 次はフランス語で詩を暗唱してみせるところなど, にやにやしてしまう.
さて,もちろん映画はハッピーエンド. フィルはリタを得て無限の繰り返しから脱出するのだが, 魔法の呪文は,フィルがリタに告げる, “No matter what happens tomorrow or for the rest of my life, I'm happy now.” だと思う.
今この瞬間をあるがままに愛すること.
こうまとめると,モチーフになっているのは,ニーチェの永遠回帰じゃなくて, ゲーテのファウストなのかなという気もしてくる.
いずれにせよ,とうとう繰り返しから脱出したフィルがリタに言う言葉, 「ぼくと一緒に今日を楽しもう」は泣かせる.
この映画を見終わったときの気持ちをずっと忘れないでいられたら, ぼくの人生もどんなに密度の濃いものになるだろう….
久しぶりにこの映画のことをネットで探してみたら, この映画にニーチェの主題を読み取っているページが現れていて嬉しくなった.
この映画はそのものズバリ永劫回帰の問題を私たちに問いかけている哲学的な映画である。
また, ほとんど同感!と言えるレビューをひとつだけ見つけたので引用させてもらおう.こちらは,最初にこの記事を書いたときにどうして見落としたのだろう….
この映画は自分でどうにもできない運命のいたずらに翻弄された男が、自分なりの方法でその運命を楽しみ、生きることの本当の幸せに気づくことがテーマになっている。
この紅玉さんの文章を読んで,下記に引用する中島敦の文章を思い出した. そうか,フィルが繰り返しを経て到達した生き方は, (中島敦が描くところの)三蔵法師や孫悟空の生き方だったのか.
およそ対蹠的なこの二人の間に、 しかし、 たった一つ共通点があることに、 俺は気がついた。 それは、 二人がその生き方において、 ともに、 所与を必然と考え、 必然を完全と感じていることだ。 さらには、 その必然を自由と看做していることだ。 金剛石と炭とは同じ物質からでき上がっているのだそうだが、 その金剛石と炭よりももっと違い方のはなはだしいこの二人の生き方が、 ともにこうした現実の受取り方の上に立っているのはおもしろい。 そして、 この「必然と自由の等置」こそ、 彼らが天才であることの徴でなくてなんであろうか?